2017年11月アーカイブ

2017-11-23_143543自然界にほとんど存在しない反物質が雷で生成された証拠を捉えたと、京都大や東京大などのチームが発表した。
論文が23日、英科学誌ネイチャーに掲載される。
チームは2006年から、雷が多発する日本海沿岸などで、落雷時に放出されるガンマ線(放射線)について調べる地上観測を実施。今年2月、新潟県柏崎市の沖合数百メートルで発生した落雷の後、反物質ができたことを示す微弱なガンマ線を検出した。

データの分析から、この現象は〈1〉雷から放出された強力なガンマ線が大気中の窒素の原子核に当たり、中性子が1個飛び出る〈2〉中性子を失った窒素が別の物質に変化する間、通常の電子と逆にプラスの電気を帯びた反物質の「陽電子」を放出する〈3〉陽電子が大気中の電子と衝突し、微弱なガンマ線が出た――と考えられるという。窒素が別の物質に変化するまでの約10分間、雲の中には数兆個の陽電子が存在したとみられる。

2017-11-05_231743「世界の記憶」(世界記憶遺産)への登録が31日決まった「朝鮮通信使に関する記録」は、日韓の民間団体や自治体が調査、集積した文書、絵巻など計333点もの資料群だ。自国優先の排他的風潮が世界に広がる中、善隣外交を体現した使節の歴史的価値を国の枠を超え照らした意義は大きい。
朝鮮通信使は1607~1811年に計12回、朝鮮から日本に派遣。漢陽(現ソウル)から釜山、対馬を経て瀬戸内海に入り、大坂、京都から主に東海道を通って江戸に至る往復約4500キロを往来した。12都府県に及ぶ日本側の登録資料からは、経路の各大名が一行を盛大に接待、交流した様子が分かる。
寄港地・牛窓(瀬戸内市)の接待所だった本蓮寺に伝わる漢詩書軸9点は興味深い。第5、6、8回の通信使が残した五言律詩は毎回、同じ韻を踏んで詠まれている。「(通信使の歴史を尊重し)交流を継続的なものにしようとする意識の表れ」と資料選定に当たった倉地克直岡山大特命教授(日本近世史)。
第8回の書記官南聖重(ナム・ソンシュン)は「本蓮寺泣次遺韵(本蓮寺に泣いて遺韵(いいん)に次す)」と題した詩を詠んだ。涙の理由は、第6回の使節団に参加し、帰国後に政争に巻き込まれ亡くなった父の遺墨が寺に残されていたためで、父の詩と同じ韻を踏んだ、とのドラマも伝わる。
迎えた岡山藩は臨時の停泊に備えて下津井(倉敷市)、日比(玉野市)にも人員を配備。接待に藩士だけでなく領民数千人を動員した。一行を一目見ようと領内から多くの人が集まったと池田家文書などに記されている。
福山市・鞆の浦では通信使が「日東第一形勝」と絶賛した福禅寺対潮楼の関連資料6点が登録された。宿泊した正使や随員が風光明媚な眺望を楽しみ、残した詩文は福山藩に学問的影響を与えた。
12回の派遣のうち、最初の3回は「回答兼刷還(さっかん)使」との名称で、朝鮮出兵で連行された捕虜の帰還が主目的だった。現在の日韓関係は、今回登録の判断が延期された従軍慰安婦関連資料などの問題を巡り「反日」「嫌韓」感情が渦巻く。争いや憎しみを乗り越えた歴史に学ぶべきことは多い。

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