2011年4月アーカイブ

クジラの歌

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オスのクジラが求愛のために歌う「歌」には流行があり、ヒットソングは南太平洋を横断して群れから群れへと伝わっているという研究結果をオーストラリアの研究者が発表した。(CNN)
c1main_humpback.jpg調査はクイーンズランド大学の研究チームが11年かけて実施した。その結果、オスのザトウクジラは仲間内で目立つため、あるいは隣で歌っているオスとは違う所をメスに見せるため、持ち歌の「プレイリスト」を常に入れ替えているらしいことが分かった。
どこかで耳にした曲を覚え、いわば「南太平洋トップ40」のようなランキングが出来上がることもあるという。
「人間のファッションに流行があるように、クジラたちの歌にも変化があり、誰かが新しいことを始めると、みんなが同じことを始める」と研究者は解説する。
「新曲」の流行はオーストラリア沿岸沖から始まって太平洋を東へ移動、仏領ポリネシアにまで到達する。群れから群れへと伝わるペースも比較的早く、約2年でこの全域に行き渡るという。
この研究は生物学誌カレントバイオロジーに発表された。

bc8639.jpg アルコール飲料に放射線を防護する効果があることはすでに報告していたが、ビールに溶けこんでいる麦芽の甘味成分などに放射線により生じる染色体異常を最大で34%も減少させる効果があることをつきとめた。
 独立行政法人「放射線医学総合研究所」が平成17年8月11日に発表したプレスリリースによると、ビールには放射線による染色体異常を減少させる効果がある。
放射線被ばくの前にビールを飲むと、放射線による障害から防護されることを示した」かつ「ビールの効果がエタノール単独の効果よりも高いこと、ノンアルコールのビールでは放射線の防護効果が認められないことが示されており、ビール中のアルコールはビール成分の吸収に一役買っていることが示唆された」とのこと。
 http://www.nirs.go.jp/information/press/2005/08_11.shtml

379317516396747368.jpg3月11日の東日本大震災で津波に流された遺体の一部や家屋、車などが太平洋を渡り、1-3年後には米西海岸に達するという見通しが発表された。
 津波で流された被災地・東北地方の家屋を含むがれきは現在、太平洋海流に乗り、米国方面へ流されている。米ABC放送は8日、「米海軍第7艦隊が、津波で流された車や家屋などからなる巨大な「がれきの島(garbage island)」が太平洋を渡り、米西海岸に移動しているのを発見した」と報じた。津波によりできたがれきの島には、今回の大震災で流された犠牲者の遺体をはじめ、家屋20万棟・トラクター・トレーラー・船舶が含まれているという。
(出典:Chosu
n Online)
 米国の海洋学者カーティス・エッベスマイヤー博士は「今回の津波で流された遺体のほとんどは海に消えてしまうだろうが、運動靴のように硬いものに包まれた足など遺体の一部は水に浮かび、米西海岸の方へと移動し続ける可能性もある」と語った。
 複数の科学者は、こうした「がれきの島」について、1日に約16キロずつ移動し、早ければ1年、遅くても3年以内に、海流に乗りカリフォルニア・オレゴン・ワシントン州など米西海岸に漂着するものと予測している。船・車・家屋のがれき・プラスチック製の人形など浮力を受けやすい物体が先に漂着し、その後にプラスチックのいすや漁の網なども米海岸で発見されるとみられている。また、一部のがれきはその後も海流に乗り、ハワイ・東南アジア方面へも流れていくと予想される。
 米放射線学大学協議会(ACR)のジェームズ・ヘベチ会長は「米西部に漂着すると思われる浮遊物は、福島第一原子力発電所から流れ出た放射性物質に汚染されているかもしれないが、そうした可能性は非常に低く、浮遊物が流れ着くのに長い時間がかかることを考慮すれば、被害は微々たるものだろう」と分析している。

福島第一原子力発電所事故の詳細な写真を撮影した「エアーフォトサービ社」の事故写真の公開が終了したので、同社の了解は取り付けていないが貴重な記録として掲載した。
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発電設備
全ての原子炉は米国ゼネラル・エレクトリック社(GE)によって設計された。原子炉形式は沸騰水型軽水炉で、7号機からは改良型沸騰水型軽水炉を予定。製造会社は下記参照。全ての施工工事は鹿島建設によって行われた。 原子炉 モデル 運転開始 定格電気出力 製造会社
1号機 BWR-3 1971年3月26日 46.0万キロワット ゼネラル・エレクトリック(GE)
2号機 BWR-4 1974年7月18日 78.4万キロワット ゼネラル・エレクトリック(GE)
3号機 BWR-4 1976年3月27日 78.4万キロワット 東芝
4号機 BWR-4 1978年10月12日 78.4万キロワット 日立
5号機 BWR-4 1978年4月18日 78.4万キロワット 東芝
6号機 BWR-5 1979年10月24日 110万キロワット ゼネラル・エレクトリック(GE)
7号機(計画中) ABWR 2013年10月予定 138万キロワット
8号機(計画中) ABWR 2014年10月予定 138万キロワット

主なトラブル
・1976年4月2日 2号機事故
構内で火災が発生したが外部には公表されなかった。しかし田原総一朗に宛てた内部告発により事故の発生が明らかになり、告発の一ヶ月後東京電力は事故の発生を認めた。東京電力は「溶接の火花が掃除用布に燃え移った」と説明したが、実際にはパワープラントのケーブルが発火し、偽装のため東京電力社員がダクトの傍でボロ布を燃やしたという噂が下請社員間で流れた。
・1978年11月2日 3号機事故
日本初の臨界事故とされる。この事故が公表されたのは事故発生から29年後の2007年3月22日になってからであった。
・1990年9月9日 3号機事故
主蒸気隔離弁を止めるピンが壊れた結果、原子炉圧力が上昇して「中性子束高」の信号により自動停止した。INESレベル2。
・1998年2月22日 4号機
定期検査中、137本の制御棒のうちの34本が50分間、全体の25分の1(1ノッチ約15cm)抜けた。
・2010年6月17日 2号機
電源喪失・水位低下事故。3号機をプルサーマル化する矢先、2号機で冷却機能不全になる事故が発生[20]
・2011年3月11日 1・2・3号機
2011年3月11日に発生した2011年東北地方太平洋沖地震とその後の大津波で、外部からの電源と非常用ディーゼル発電機を失い「全交流電源喪失」状態に陥った。

aireo80-1.jpg
株式会社エアーフォトサービス
  http://www.yamazaki-k.co.jp/airphoto/
撮影機材:Canon EOS Kiss X4
撮影条件:24mm F9 ISO400 S1/1000
撮影日時:2011年3月20日、24日

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