2010年4月アーカイブ

0427.jpg アラブ首長国連邦(UAE)ドバイに建設された世界一を誇る高層ビル、ブルジュ・カリファ(ブルジュ・ドバイから改称)には、超豪華ホテル「アルマーニ・ホテル・ドバイ」がある。ここの和食レストラン「Hashi」の総料理長に、韓国人シェフのムン・ギョンスさん(34)が抜てきされた。和食レストラン、それも世界的に有名なホテル内の店の総料理長に、日本人ではなく韓国人が選ばれたのは驚くべきことだ。ムンさんも26日、本紙との電話インタビューで、「不可能なことが可能になった」と喜んだ。  この和食レストランは、ホテルにある八つのレストランの中で最も規模が大きい。
 当初は総料理長に日本人が内定しており、ムンさんは補佐役としてスカウトされた。だが、ホテルのオープンを前に、日本人の総料理長が役員らの厳格な料理審査をパスできず、ムンさんにチャンスが巡ってきた。ホテル側は、日本人の総料理長を新たに起用しようとしたが、八つのレストランを総括するドイツ人総シェフ、ウーベ・ポスト氏がムンさんを強力に推薦。同氏が役員らを説得した結果、「ムンさんの腕前を評価してみよう」ということになった。ムンさんはこのチャンスを逃さなかった。
 ホテルの幹部ら10人余りの審査員が見守る中、炭火焼き、手打ちそばなど14種類の品々をコース料理として披露した。すると審査員からは拍手喝采が沸き起こった。その後、イタリアから来た総支配人の前で2次審査を行った。総支配人は特に手打ちめんに感動し、ムンさんは今年1月、電撃的に総料理長に抜てきされた。  ムンさんは「日本人でなければ和食レストランの総料理長は務まらない、という考えは時代錯誤だということを示したかった。メニュー選びから材料の準備まで、すべての工程において完ぺきを期し、緊張感を持って臨んだ」と語った。
 大学で調理学を専攻し、韓国料理、中華料理、洋食、日本料理、ふぐ料理など5分野の料理資格を取得したムンさんは、1996年に軍に入隊後、陸軍参謀総長の料理兵として服務した経歴も持つ。その後は新羅ホテルに8年間勤務し、2008年にドバイへ渡り、アドレスホテルのアジアンレストラン「ファザリス」で実力を磨いた。  だが、ムンさんが最も苦労したのは英語だった。会議では上司から「もう少し理解しろ」と言われ、書類を顔に投げつけられたこともあったという。英語を学ぶため、ムンさんはホテルが用意した高級な宿舎を出て、部下の家を1週間ずつ転々とした。料理の技術を教える代わりに、英語を教えてもらったのだ。  ムンさんは27日、ホテルのオープンに合わせ、ホテルのデザインや投資に関わった世界的ファッションデザイナー、ジョルジオ・アルマーニ氏をはじめ450人の重要顧客に、料理の腕前を披露する。

0423.jpg丙子胡乱(1636-37年、清による朝鮮侵攻)当時、「朝鮮が清に降伏した」という記録が刻まれた石碑「三田渡碑」(史跡第101号)が、本来の場所である石村湖周辺に移された。
 松坡区は22日、「朝鮮・仁祖17年に当たる1639年、清との戦争に敗北し、屈辱的な講和協定を結んで立てた三田渡碑を、位置の考証を経て、今月25日に本来の場所である松坡区蚕室洞47番地、石村湖・西湖の丘に移転し、公開する」と発表した。 石碑の本来の名前は、「三田渡清太宗功徳碑」で、高さは3.95メートル、幅は1.4メートルある。石碑には、清が朝鮮に出兵した理由、朝鮮が降伏した事実、清の太宗が害を及ぼさず軍勢を引き揚げたことなど
屈辱の歴史が刻まれている。本来の位置は、京畿道広州郡中垈面松坡里187番地で、仁祖が降伏の礼を執り行った受降壇があった場所だと考えられていたが、高宗代の1895年に地中に埋められた後、正確な場所が分からなくなっていた。
 
その後、石碑は日帝強占期に再び建てられたが、1956年にまたも地中に埋められ、63年の洪水で姿を現すなど、受難が続いた。松坡区石村洞内でも、2-3度場所が変わり、1983年に住宅街の真ん中となる石村洞289-3番地に落ち着いた。07年2月には、三田渡碑撤去を主張する市民が赤いスプレーで「撤去せよ」と落書きしたこともあった。
 
松坡区は、ソウル市立大ソウル学研究所に依頼して位置の考証作業を行い、石碑の本来の場所が石村湖・西湖の北東部水面下(現在のマジック・アイランド横)だと確認、ここに近い石村湖のほとりに移転することとした。この過程で、石碑が雨ざらしにならないよう屋根を付け、石碑に入ったひびを補修するなど、文化財保存作業も展開した。
soju_jinro.jpg

「チャミスルのラベルの赤と青の模様は太極旗を表します」

「真露の焼酎は日本の酒」というデマが出回っている中、真露は営業社員を動員してビラを配布するなど、デマの拡散防止に努めています。
 真露は昨年末にチャミスルをリニューアルした際、「チャミスル・オリジナル」を赤に、「チャミスル・フレッシュ」を青にそれぞれラベルとキャップのデザインを変えました。すると「赤のデザインが日章旗を表している」というデマが広がり始めたのです。
 真露のある役員は「ライバル商品の“チョウムチョロム”を販売するロッテ酒類が意図的にデマを広めた疑いがある。営業社員が夜間に営業に行くと、“真露の経営が困難な時、援助したのに、日本の資本に買収されたのか”と不信を抱く顧客が多く、大打撃を受けている」と説明しました。
 実際には真露に日本系の資本は参入していません。しかし、05年初めにハイトビールが真露を買収した際、アサヒビールやキリン、サントリーといった日本の酒類メーカーが買収競争に参加し、「真露が日本に買収される」といううわさが流れました。
 デマは08年にも起こりました。真露が発売した焼酎の「J」が日本の「Japan」を表しているといううわさが流れたのです。当時真露は、日本の酒というデマを広めた人物を相手取りに訴訟を起こしました。今回のデマについて、真露は「2年前の悪夢が再び蘇った。今回はデマを早く鎮火させるため、広告やビラなどを通じて消費者とのコミュニケーションを強化するよう努めている」と説明しています。
 一方、ライバルメーカーのロッテ酒類は、こうした真露の動きに対して懐疑的な視線を注いでいます。真露がこれを機に愛国心を煽り、いわゆる「ノイズ・マーケティング」を行っていると疑っているのです。ロッテ酒類のある幹部は、「こうしたデマを広めた覚えもなければ興味すらない。不純な意図が感じられる」と話しました。

このアーカイブについて

このページには、2010年4月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2010年3月です。

次のアーカイブは2010年6月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

カテゴリ

月別 アーカイブ

ウェブページ

Powered by Movable Type 5.2.13