2008年12月アーカイブ

旧正月連休の最終日だった今年2月10日、崇礼門(南大門)が放火で焼失した後現場から収集された残骸はすべて、ここ「崇礼門部材保管庫」に移された。08122801.jpg
国立文化財研究所のチョ・サンスン学芸員は、棚の上に置かれた炭の塊を指し、「あそこに少しでも熱い空気を送るのは罪なことだ。暖房を入れることなど思ったことすらない」と話した。
黒くすすけ、炭の塊になってしまった崇礼門の垂木(屋根を支える部材)や梁(はり)、枡組(柱の上で軒を支える部材)といった部材が約3000点。これら一つ一つに、もともとあった位置や名称、収集した日付などを記録した電子タグが取り付けられている。
(出典:朝鮮日報電子版)
 焼失から10カ月が過ぎた崇礼門の跡地では、周辺の道路や民家の跡地の発掘調査が行われていたが、先週からすべての作業が中止となった。地面が凍りつき、これ以上発掘作業を進めるのが困難なために作業員を撤収させた。
 シートで覆われた崇礼門の跡地には、火災の悲惨なつめ跡がそのまま残っていた。楼閣の1階に上がり、中を歩くたびに、木の床からはきしむ音がしきりに聞こえた。黒く焼け焦げた跡はそのままで、床には小さな炭の塊が転がり、ほぼ全焼状態の2階には崩れた階段がむき出しになっていたが崇礼門の石垣はほとんど無傷だった。
火災の後、文化財庁は非破壊検査や3Dスキャナーなどで石垣の安全度を検査した。
 文化財庁の関係者は「2回にわたる安全診断の結果、問題ないことが明らかになったため、石垣を解体して造り直すという当初の計画を変更し、現在の状態を極力維持する方向で検討していく」と語った。
 一方、破損した扁額の収集作業は90%ほど進んでいるという。扁額は枠を含め、長さは横189センチ、縦282センチで、重さは約100キロだという。文化財庁はこの扁額を解体して38個のかけらにし、ルーペや手術用のメスを使って接着剤の成分を取り出す作業を進めている。

北朝鮮産の雄牛と、済州道産の雌牛との間に生まれた「平和統一の牛」が、約40頭もの子孫を持つ大家族の主(あるじ)になっていたことが分かり、「丑(うし)年」の幕開けを前に話題を呼んでいる。(画像:済州島漢拏山)
Hallasan.jpg済州市牛島面西光里のチョン・ヒョンイルさん(53)が飼っている「平和統一の牛」は、北朝鮮から来た雄牛「平和の牛」と、済州道産の雌牛「統一祈願の牛」との間に生まれた雄牛だ。
 1996年8月、北朝鮮を襲った洪水で流されてきた雄牛を救助した京畿道金浦郡(現・金浦市)は、この牛を「平和の牛」と名付け、姉妹提携をしていた済州道北済州郡(現・済州市)で飼われていた雌牛に「婿入り」させることにした。
 一方、時を同じくして、北済州郡朝天邑臥屹(ワフル)里で畜産業を営んでいたカン・イクサンさんが、済州産の雌の韓牛(韓国伝統の肉牛)を郡に寄贈した。郡はこの牛を「統一祈願の牛」と名付けて金浦郡へ送り、98年1月16日に「平和の牛」と引き合わせた。
 「平和の牛」と「統一祈願の牛」との間には、98年11月6日に子牛が生まれ、これが「平和統一の牛」と名付けられ牛島に送られた。2000年1月、ミレニアム(新たな千年紀)を記念し、「平和統一の牛」は母牛の故郷である北済州郡へ寄贈された。そして小さな離島である牛島面のチョン・ヒョンイルさんに託され、大切に育てられた。05年4月に行われた第39回道民体育大会では聖火ランナーを務め、人々から可愛がられた。
 今年10歳の誕生日を迎えた「平和統一の牛」は、これまでに約40頭の子孫に恵まれ、現在は体重が800キロを超えるまでになっている。チョンさんは「昨年10月には双子の子牛が生まれ、家の中はお祭り騒ぎだった」と話している。南北に分かれた韓半島(朝鮮半島)の現実を象徴する存在となったこの牛は今や、昨年だけで3500人もの観光客を呼び寄せる「観光の目玉」となって人々から愛されている。
(出典:朝鮮日報電子版)

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