2007年9月アーカイブ

qfkmz.jpg中国国務院新聞弁公室は、今年から曲阜国際孔子文化フェスティバル(孔子祭り)を「中国曲阜国際孔子文化フェスティバル」に昇格させると発表した。2007年中国曲阜国際孔子文化フェスティバルは9月20日から28日まで孔子の故郷の山東省曲阜市で行われる。
 
例年に比べて今回のフェスティバルはテーマや規模、内容、形式といった面で大きな飛躍が見られる。文化フェスティバルでは文化活動を経済・科学・貿易、観光活動とを密接に結びつけ、「走近孔子(孔子に近づく)―孔子の故郷に集う世界の華人・華僑」といった催しや、ユネスコの第2回「孔子教育賞」受賞式典、世界儒学大会が発起した国際会議などの重要な文化活動を開催する。また中国の特許・ハイテク製品博覧会といった一連の科学技術・貿易活動も実施し、山東省の対外開放を一層進める。孔子文化フェスティバルは1984年から23回にわたって開催され、国際フェスティバル・イベント協会(IFEA)から「中国で最も国際的な影響力を持つ十大フェスティバル」の一つに選ばれている。(人民網日本語版 2007-08-23)
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曲阜を訪れる外国人観光客は、日本人と韓国人が一番多く、年間各30万人を超えホテルのスタッフの多くはハングルと日本語を話します。野外劇場で夜に開かれる青空舞台劇「杏壇聖夢」は孔子の生き様を描いたものですが、マルチスクリーンには英語、日本語、ハングルの字幕が表示されます。
(画像左:朝鮮族民族衣装による舞踊劇 右:闕里賓舎 (Queli Hotel)3ツ
星クラス)

中秋の名月

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旧暦8月15日に当たる今年の十五夜は9月25日ですが満月は27日となります。
070925.jpg十五夜に月見をする風習は中国から暦の知識とともに伝わり平安前期に貴族の間に広まったとされ、この日の月を「仲秋の名月」と称しますが、「仲秋」は本来旧暦8月の別称で秋の半ばの意ですから、やはり「仲秋の名月」は「中秋の・・・」のほうががふさわしいようです。
月にちなむ言葉集
月見(つきみ)・・・月見は月を眺めて楽しむことです。月見としては、特に十五夜(旧暦八月十五日:中秋の名月、芋名月)や十三夜(旧暦九月十三日:後の月、豆名月、栗名月)が有名です。

片月見(かたつきみ)・・・十五夜(旧暦八月十五夜)のお月見をして、十三夜(旧暦九月十三夜)のお月見をしないこと。また逆に、十三夜のお月をして、十五夜のお月見をしないこと。片月見は忌み嫌われ、お月見は十五夜と十三夜両方を見るものとされていたようです。
新月(しんげつ)・・・朔(さく)ともいいます。月が太陽と同じ方向にあって、地球に暗い半面を向けて見えなくなるときです。

三日月(みかづき)・・・陰暦で3日の夜に出る細い弓形の月のことですが、陰暦の3日に限らず細い弓形の月を三日月と呼んでいます。

十三夜(じゅうさんや)・・・陰暦13日の夜のことです。特に旧暦の9月13日の夜はお月見の風習があり、「豆名月」「栗名月」とも呼ばれています。

十五夜(じゅうごや)・・・陰暦15日の満月の夜です。特に、陰暦8月15日の夜はお月見の風習があり、「中秋の名月」「芋名月」ともいわれます。

朔(さく)・・・月が太陽と同じ方向にあって、地球に暗い半面を向けて見えなくなるときで新月ともいいます。太陰暦で月の第1日です。

望(ぼう)・・・月が地球を挟んで太陽の反対側にあるときで満月です。陰暦の15日、十五夜ともいいます。

閑谷学校の歩み

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shizu01.jpg閑谷学校の歴史は、寛文6年(1666)に備前藩主池田光政公が国内巡視をして、静寂な山ふところに学問の理想郷を思い描いたことに始まる。同8年に光政公はこの地に手習所を設置、ついで同10年には重臣津田永忠によって本格的な学校建設が始まった・・・。

領内巡視をしていた備前藩主池田光政は和気郡木谷村の北端・延原の静かな地を訪れた。この時彼の脳裏に浮かんだのが、学問の理想郷、庶民のための一大道場の建築でした。その思いを実現すべく同8年にはこの地に手習所を設置、ついで同10年には重臣津田永忠によって本格的な工事にとりかかり、地名も閑谷と改められました。
この学校建設にあたっての光政公の情熱は熱く、たとえ池田氏が移封となっても自立経営できるようにするなどの処置がとられていました。建築物の屋根瓦は備前焼が用いられていますが、そのために近くにわざわざ窯を築き、伊部から陶工を呼んで焼いて用意しました。
 この情熱は次の綱政公にも引き継がれていきました。現在残されている諸施設は綱政公と津田永忠によって元禄の頃に完成されたもの。しかし、そのデザインや建築技術は現在においても決してその輝きを失っていません。またこの学校は領内の庶民と武士の子弟はもちろん他領の者も入学を許しており、光政公や永忠に始まる創学の精神はその後も連綿と受け継がれ、頼山陽などの学者文人がたびたび足をとどめるなど、岡山城下にある藩学校と並んで二大教育道場となっていました。明治になってもその歴史と伝統は消えず幾多の人材を世に送りだし、今日に至っています。

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