2007年8月アーカイブ

荒手とは・・・

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百間川は江戸時代に造られた大放水路・・・旭川は水害の多い川だった。
con04-photo-map.jpg 天正18年(1590)から8年をかけておこなわれた岡山城改築のとき、宇喜多秀家は城を守る堀として旭川を利用した。秀家の旭川改修計画では、旭川の流路を城の北面 に衝突させて東向きにし、そのあと南向きに急激に方向転換させるというものだったが、上流山林の荒廃や砂鉄採取の土砂が河底に堆積することなどもあって、この川の付け替えが洪水を多発させる原因になった。

熊沢蕃山と川除の法
 江戸時代で最も被害が大きかった洪水は、承応3年(1654)に起こった洪水で、岡山城下の死者156人、破損家屋1,455軒と記録されている。
城下の復旧とともに治水対策に際して、かねてから治水問題に心を砕いていた、岡山藩の番頭格で陽明学者の熊沢蕃山は「川除(かわよけ)
の法」を考案した。

con04-zu02-3.jpg津田永忠と荒手
 岡山藩の郡代となった津田永忠は、熊沢蕃山の川除の法を実践して、上道郡の水害防止と新田開発のために総延長12.9Kmの百間川の開鑿に着手した。正確にわわからないが、この大放水路は貞享3年(1686)に完成してと伝えられている。
津田永忠は、旭川から百間川への取水口に、本流の勢いを弱める工夫の「荒手(あらて)」と呼ばれる越流堤(えつりゅうてい)を築いた。
百間川の由来
 完成した放水路としての百間川はみごとに機能することとなり、この荒手の延長が百間あったことが「百間川」の名称の由来となっている。
出典:国土交通省 中国地方整備局 岡山河川事務所資料)

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